Hayato Hamada BLOG浜田隼人のブログ
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2月2022
北の大地を目指した理由
前回まで3回に渡り、日頃より内装工事でお世話になっている職人さんたちとの慰労旅行について書きましたが、本日で最後のこのネタになります
当初の目的地は北海道は札幌。宮崎は急遽の振替地です
ではなぜそもそも北海道に行こうと思ったか
第一に、一番お世話になっている現場監督さんが大のジンギスカン好き、そして僕自身も大好き、ということもあっての札幌。これが一番の理由
次に北海道は知り合いも多く、美味しいお店の情報が入手しやすいこと美味しいものを食べに行こう、が趣旨だったので
最後に、少し仕事絡み?個人的理由絡みの理由
約1年前に祖母が他界しました。祖母は当社の創業者の妻にあたり、会長職でもありました
そんな祖母の出身地が北海道札幌ではないですけどね。
祖母は生前とても厳しい人で、常々憎まれ口を言うような存在それでも僕にはだいぶ甘かったようですが
たくさん思い出や学ばせてもらったことがあり、それこそ挙げればキリがないので、祖母と最後に交わした会話を
まだ会話ができた頃に少しお見舞いに寄った時に、最後の最後まで商売人だった祖母との会話はもちろん会社の話
母親がふと「隼人も頑張って会社やってるよ」と告げると、「商売人の家に生まれてきて、商売やってて頑張ってるよ、なんて、あんたそんなこと言う人があるか」と「頑張るのなんて当たり前のことで、結果を出すことがすべてだよ」「頑張ってる、なんて他人に言っちゃダメだ」と
いやいや婆ちゃん、俺が言ったわけでなく母ちゃんがただ言っただけでしょ、と心の中で思いながら「そうだね、婆ちゃん、婆ちゃんの言うとおりだよ」そんな会話が結果的に最後に交わした会話でした
もう意識も朦朧としてて、僕と話してるかどうかも半分わかってるようでわかってない状態なのに、会社の話になるとしっかりと話せて、且つ僕に説教する祖母が如何にも祖母らしくて、もう可笑しくて可笑しくて、そしてそれが祖母という存在なので嬉しかったです
そんな会話が嬉しかったものの、しっかり胸を張って、今年もまた会社が伸びた、と誇れる報告出来ないのはとても悔しい
祖父が創業した会社は、兄がやってる大元のほうと僕がやってる不動産の方とに分かれてます。
兄の方は増収増益で、常々祖母に安心させてあげれるような兄は僕の憧れであり、とても尊敬しています
祖母が入院する前にお正月に集まってた時なんかは、「婆ちゃん会社のことは心配するなよ」そんな風に兄が伝えてるのをカッコいいな〜、自分もそんな風に伝えてあげたいなぁ、なんて思いで見てました
さてさて、そんなこんなな祖母との会話、その時はそれが最期の会話になるなんて微塵とも思いませんでしたが、それから2ヶ月後くらいに祖母は他界しました
ある日夜中に母からLINEが来て、多分もう持たないから何か最期に伝えることは?多分まだ耳は聞こえる、とのこと。僕は「最後まで兄のように、婆ちゃんを安心させてあげれる報告ができなくてゴメン」そんなような内容を伝えてもらったと思います。
そして祖母は旅立っていきました
さてさて、そんなこんなでもう約1年が経ち、まだまだ会社のことは何も心配するなとまでは言えないけど、お取引先を旅行にご招待するくらいにはなりました、と祖母の出身地の北の大地にて冬のお空に報告しようかな、そんな思いがあったのが、行先を北海道にした最後の理由です
が、しかし、、、
結局北海道には行けず、まだまだ北の大地は遠い遠い存在なのでした
これもまた祖母が僕にメッセージを送っているのかと考えました
きっと「一度だけそんなことが出来たくらいで報告に来るだなんてまだまだ甘い」「もっと継続できてから来なさい」とか
もっともっと励めと叱咤してくれてる気がします
それもそうだ、一回ぽっきりこんなことが出来たからって、まだまだ、まだまだ継続できるようにならないといけない
もっともっと励もうと思います
北の大地に拒まれたことで、新たにマインドセットされました
やはり僕にとって祖母は偉大で、厳しく、だけどとても温かい存在です
必ずまたこんな企画を継続してできるような会社にして、北の大地で婆ちゃんに報告したいと思います
さてさて、頑張ろうあっ、頑張るのなんて、当たり前だったな、婆ちゃん